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メルマガ『reborn』バックナンバー

愛とは

おはようございます
内藤です

第75回のテーマは
「愛とは」

ここにきて何という壮大なテーマ

とてもメルマガでは語り切れません

ということでもない

愛の本質
それは数多の顔を持つでしょう
愛の性質
それはいくつもの側面があり
いくつもの色・温度・言い回しがあるのでしょう

そんな「愛」のある一面だけに限れば
ここでも提示できるでしょう


木を見て森を見ず

とは言いますが
何も見ないよりは木を見ることから始めた方がよい
一本の木を見ることで
その森全体の本質に迫れることもあります


愛とは

そんなことを考えたのは昨日

ちょっと対応に困るお客様
要するにね
うっとうしいスクール生の電話対応をしたんです

詳しくは書きませんが
他のお客様の誹謗をしたり
こちらの揚げ足を取って細かいクレームを言ったり
まあ、ネチネチと言うわけです

いや、ありますよ
言いたくなる時は

言われる時も多々あるのですが
その方のそれは・・
よく分からないんです

んっ?
言う必要ある?
で、どうして欲しいの?

そういう感じ・・・

他のスタッフも困ったり
イラッとしたり
感情が揺らぐわけです


私はね
何とも思わないんです

不思議だなー、くらい
何なら、面白いこと言うなーと楽しんでいたくらいです

でもね
ふと考えたときに
以前の私なら絶対にイラついている

感情的になって直接文句を言っているでしょう


そう考えると
私も成長したなー

少しは大人になったのかなー
と思っていた時に頭に浮かんだのが


そうかもしれません

「愛する」ということが、少しは出来るようになったのかもしれません


ニーチェは言います

愛するとは、若くて美しい者を手に入れることではない
優れた者を自分のものにしようとすることでもない

愛するとはまた、自分と似た者を探したり、嗅ぎ分けたりすることではない
自分を好む者を好んで受け入れることでもない

愛するとは
自分とは全く正反対に生きている者を
その状態のままに喜ぶことだ
自分とは逆の感性を持っている人をも
その感性のままに喜ぶことだ

愛を使って二人の違いを埋めたり
どちらかを引っ込めさせるのではなく
両者の違いのままに喜ぶのが愛することなのだ


そうでしょうね

他人が自分と全く同じ感性、同じ価値観になることなど永遠にあり得ません

そこを気に食わないからと言って
相手を変えようとするのはただの支配

相手に合わせて自分を必要以上に変えてしまうのも自分への冒涜

相手も変えず
自分も変えず
その違いを違いとしてそのまま喜ぶ

それが愛するということ


よくね
離婚の原因で価値観の不一致とか言いますが
それはそう

そもそも体も脳の作りも全く違う男女
育った環境も何から何まで違う他人
価値観が一致しないことなど至極当然

その価値観の違い・不一致をそのまま喜ぼう
それが愛するということです

価値観の不一致など離婚の原因になり得ない

離婚の原因、別れの原因があるとすれば
それはその人自身に「愛する力」がなくなっているから

愛のエネルギーがなくなっている時だからなのでしょう


昨日のそのお客様
(昨日に限らずなのですが・・)
その方に嫌悪感を抱くとすれば
それは自分自身の愛の少なさからなのでしょう

愛が多くあるとき
愛するということが出来ているときは
何を言われても
あーそういう考えもあるんだなー
と自分との違いを喜べるのでしょう


まあ、でも・・
限度はありますよね

やっぱり私なんかは
まだまだ人間が出来ていないので
コンディションによってはすぐにイラッとしてしまいますけどね

マザーテレサのようにはなれないもんですね


今日は考えの違いを楽しもう
誰かと考えが違ったとき
次に訪れるのは
衝突か愛するかです
戦争か愛かです
どちらを選択するのもあなた次第です